水星の魔女について語る_03 〜あれは何だったのか:株式会社ガンダム〜
このブログでは2023年7月に終了したアニメ「機動戦士ガンダム 水星の魔女」について自分の意見を文章にしていこうと思います。
久しぶりに長文で語りたくなるコンテンツに出会えたので、備忘録を兼ねています。
最終回放送後1ヶ月経過して
最終回放送から1ヶ月が経過しオフイベントも終了して少し落ち着いてきた水星の魔女界隈(多分)。
スレッタの最後がショックだったので祝福はいまだに前向きに聴く気持ちにはなれていませんが、ランダムで曲が流れ始めたらわざわざ変えることもしないのが今の心境。
本屋コラボのスレッタが可愛かったので8月に入ってからグッズ購入欲も湧いてきました。本屋コラボのスタンドは出来がとてもよくて大満足です。置くときに斜めになってくれるのが良い。
と、時間経過でショックからはまあまあ快復しましたが水星の魔女の物語については納得できてないので、筆者が思う「あれは何だったのか問題」をまとめていこうかなと思います。
株式会社ガンダムの存在意義
端的にいうと「株式会社ガンダム」って作中で必要だった??という話です。
株ガン前の地球寮はスレッタが決闘するにあたって味方陣営となる寮が必要だったのでわかるんですよ。
株ガン設立も「ああ、そういう感じで行くんだ」と最初は見てました。
(ただ地球寮を社員にしたのはよくわからないし、PV撮影とかもおままごとみたいだなと。)
ただその後ペイルからベルメリア、エラン、ファラクトが来たことで、株ガンの物語上の存在意義に結びつけることはできたはずでした。
ベルメリアからGUND技術を教わりヴァナディースの過去を知ることで安全なガンダムを作ろう!とか、ファラクトを調べることエアリアルの特別性が発覚し、エアリアル・スレッタの謎に迫るとか。
あと4号と5号の入れ替わりを通して、スレッタ自身が自分やお母さん、エアリアルについて疑問を持つとかね。あとガンダムパイロット関連で地球の魔女たちとも繋がったかも。
・・・まあ全部なかったんですけど。
期待していたペイルと株ガンは関係なかったみたいです。(本当???)
まあ終盤ベルメリアと5号が仲間になるための場所ではあったかな。
(ただ別にこの2人仲間にならなくても最終決戦どうにでもなったような。侵入するにしてもガバガバ警備なもんで)
となると、株ガンってミオリネとデリングの父娘関係の改善装置だったのかなと。
親子としての会話は難しくてもビジネスの話ならできる2人のとっかかりというか。
1期はそれらしき雰囲気は感じられたんですよね。
ただこちらもデリングがずっと眠っていたことからなあなあで終わりました。
なぜか終盤は母親との愛が強調されていたのも謎。
(終盤ミオリネってデリングに対してあまり興味なかった気がしてます。)
あとは株ガンとしての成果物「義足」。
こちらは最終的にペトラを助けることになったようですが、むしろ義足を使いたいがためにペトラから足を奪ったみたいで筆者的にマイナスポイントです。
あと地球でアーシアンとの交渉でミオリネが使っていましたが、戦争を起こしている側のベネリットグループの人間がそれをアピールするのどうなの?と思ってしまいました。株ガンをアピールしているけど立場的にはベネリットグループの代表として地球に来たんじゃなかったっけ?と、あの会談はミオリネがアーシアン側の主張の論点をずらして話を進めるのが見ていて違和感でした。
(なんかプロスペラと似ているな…)
つまり義足も別に絶対必要なかったよね?と筆者は思っております。
というかGUND義足が特別優れている描写もなかったので、ペトラがわざわざそれを使う必然性もないように思えてしまうのが…
後はミオリネの若き社長描写とかもありましたが、総裁選も「総裁の娘」という肩書でしかなく、最終回でも株ガンとして何かしている描写も特にない。
ミオリネが株ガンの社長である必要性って何だったんでしょうか。
3年後も存続しているみたいですが、ミオリネ以外の地球寮メンバーって株ガンとかGUND技術に対してそこまで思い入れあるのか?と思ったりもしてます。
彼らは別に会社がなくても大事な仲間だろうし。
まとめ
色々作中の疑問をつらつら書き連ねましたが、結局描きたいところ優先で株ガン設立しちゃったからオチがないってのが結論な気がしました。(この物語大体そんな気が)
メタ的な話をするならカルド博士の意思を継いだ組織になるべきだったと思いますが、カルド博士が目指したGUNDのあり方について本編で触れられてないから中途半端な組織描写で終わってしまったのかなと。
メタ的にはどうにか解釈できるけど作中でどうして描写しきれなかったのか、
本当不思議ですね〜
(会社描写がツッコミどころありすぎてノイズでしかなかった)
水星の魔女について語る_01 〜出会い・祝福・ミステリー?〜
このブログでは2023年7月に終了したアニメ「機動戦士ガンダム 水星の魔女」について自分の意見を文章にしていこうと思います。
久しぶりに長文で語りたくなるコンテンツに出会えたので、備忘録を兼ねています。
筆者と水星の魔女との出会い
10年以上アニメを見ていなかった筆者がなぜ水星の魔女を見ようと思ったのか?
最初はYOASOBIさんの「祝福MV」の存在です。
音楽関係でもライト層の自分はYOASOBIさんがごく一般的に好きです。
YOASOBIさんの新作&あのガンダムの新作のOPということで様々な面からも世間の注目度は高かったのではないでしょうか。
筆者もその波にのりなんとなくMVを見てみたところ、「おお〜」と衝撃を受けました。
イントロのロボット感、意味深で不穏な歌詞、THE・ガンダム顔のMS…たくさん惹きつけられたポイントはあります。
ただこの歌を聞いたら、孤独な操り人形の女の子がガンダムと一緒に戦って呪縛を解くんだ!と思いません?筆者はそう思いました。
ただこの時点ではアニメを見てみようとはならず、へえー次のガンダムは女の子主人公なんだー面白そーくらいの気持ちだったような。
PROLOGUEもこのタイミングで一回見た気もしますがその時の感情は覚えてないです。
リアルタイムで追い始めるまで
出会いは早かったのですが、リアルタイムで追い始めたのは2期の15話からです。
というのもアニメから10年以上遠ざかっているのでリアルタイムで見るという習慣がなく他の人の評判聞いてから見てみるか〜という現在のネットSNS環境に染まっておりました。
なので1期はグエルくんのプロポーズとか4号くんの衝撃ラストとかやめなさいとかで話題になるたびに存在は認識していましたが、気が向いたら見てみようかなという感じ。
ただ14話のラストでエアリアルの中には主人公の幼少期に似た女の子がいる!と知ったとき、俄然興味を惹かれたんですよね。
主人公スレッタとPROLOGUEの少女エリクトの関係性は謎に包まれていましたが、スレッタ≠エリクトがほぼ確定になり先が気になる!
ここからPROLOGUE・1期をちゃんと見返し15話以降を楽しみに待つようになりました。ゆりかごの星も読み、エアリアルのスレッタへの思いにときめきスレッタの学園生活が楽しいものになるように思いを馳せました…。(結果は知ってるのでより切なくなった)
15話はグエル君が輝きまくって違うアニメみている感じでしたが、面白かったです。
PROLOGUEから繋がるガンダム関連の謎に興味を持った
上記の流れの通り筆者はPROLOGUEから続くガンダムの謎に特に興味を持って追うようになったので、自然とエルノラ(プロスペラ)視点で本編を見るようになりました。
周りで結婚して子供を育て始める人も多くなり親視点の話を聞くことが多くなったこと、本編の学生を10代の子供だなー青いなーと大人目線で見てしまうからですかね。
だから様々な人間模様・格差問題とかが同時に展開されていましたが、
- データストーム問題をどう解決するか(ルブリスAIの存在が鍵?)
- エリクトが自由に動ける世界とは何なのか
- スレッタとは何者なのか
主にこの3点の謎が気になって追いかけるようになったのでした。
つまりミステリーものとして筆者はこのアニメを捉えてしまったわけです。
あとスレッタは幸せになれるよね?という親心みたいな感情。
結末は…うん… 総評は次→
水星の魔女について語る_00 〜筆者の属性〜
このブログでは2023年7月に終了したアニメ「機動戦士ガンダム 水星の魔女」について自分の意見を文章にしていこうと思います。
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筆者の属性
- アラサー女 独身社会人(数年からほぼリモートワーク)
- 最近はゲーム実況動画中心にyoutube・twicthばかり見ている
- アニメは10年以上新作というものを見ていなかった
- ガンダムに触れたのはアニマックス・スーパーロボット大戦から
筆者とアニメ全般
筆者は世間一般でよく言われるライト層に属している人間です。
アニメを一番よく見ていたのは子供のころで、月曜日の夜7時からの金田一少年の事件簿・犬夜叉→名探偵コナンは毎週楽しみにしていました。
ただそれよりも2000年代はアニメ専門チャンネル「アニマックス」でずっとアニメを見ていた記憶があります。(他にもいくつかアニメチャンネルがあった)
地上波の週一回放送ではなく過去アニメを平日毎日続きでやるので、ドラゴンボールZなんかは夕飯前の日課になっていたような(ピッコロと悟飯が好き)
初代機動戦士ガンダムの「燃え上が〜れ〜、燃え上が〜れ〜、燃え上が〜れ〜ガンダム〜、二度もぶった!」というアニメCMはものすごく宣伝されていたので記憶に染み付いてます。
後述しますが同じ時期にスーパーロボット大戦のゲームにハマっていたこともあり、ガンダムZ、ガンダムZZ、ガンダムW、ガンダムGあたりの原作アニメにはこの時期に触れました。
高校生以降は興味の幅も色々ひろがってアニメを見る機会は減り、ここ数年は自分の興味ある分野以外のニュースは見ないという環境の変化もあってかアニメに触れることすらなくなってました。
進撃の巨人、鬼滅の刃ぐらいはさすがに知っていますが、漫画を読んで満足してアニメまで見るということはしなかったです。
筆者とガンダム
ガンダムに初めて触れたのはゲーム「スーパーロボット対戦」シリーズだった思います。兄が大のゲーム好きで私は兄がゲームプレイしているのを後ろで見て面白そうだった自分でもやってみる、というのが常でした。
「スーパーロボット大戦 」はなんと行っても戦闘シーンがかっこいいので見てるだけでも楽しかったんですよね。このゲームシリーズを通してガンダム他様々なロボットを知ることになりました。
ゲッターもスパロボで知っていたので、最近の完璧で究極のゲッターブームも楽しめましたね。
ただスパロボはいい感じに原作改変をしてくれるので、実際のアニメとの落差がすごい…
ガンダムZ、ガンダムWはアニメを実際見ると「???」が頭を占め、ゲームとアニメは違うんだと子供ながらに理解しました。
(アニメはMSかっけーされあれば細かいことは気にしないと理解したのもスパロボのおかげかも)
そんな筆者が「水星の魔女」を見ることになったきっかけは次
水星の魔女について語る_02 〜総評・あれは何だったのかが多すぎ問題〜
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総評
前回筆者はこの物語をミステリーとして楽しんでいたと述べました。
つまりその視点からいうとこの物語は「時間の無駄」。これに尽きる。
謎が解明されないミステリーなんて見るんじゃなかったという感想です。
最終回終わった直後はこの気持ちでいっぱいでした。
途中から雲行きが怪しいのは薄々わかってたんですよ。
スレッタがエリクトのクローン的存在「リプリチャイルド」であることが明かされましたが詳細な説明はなくどうやらパーメット反応は赤色、つまり遺伝子情報が同じでもデータストームと「同調」できたエリクトと同じ存在になれないらしい…ふむふむ…つまり?
つまり?の後が最後までなかった…
エリクトだけが特別な人間だったのか?と思いきやいきなり4号くんがエリクトみたいな存在になって登場。
「オルガノイドアーカイブ」なる新たな単語が最終回にて初出されわけですが、単語の意味的に4号の生体データ情報を持った臓器がクワイエットゼロに組み込まれてるのかな?
誰がそんなことしたの?ベルメリアさん?あなた何味方ヅラしてんの?
そして極めつけはキーホルダーに宿ったエリクトなる存在。
あれ?今までデータストーム内でしか生きられないからパーメット空間を広げようとお母さん頑張っていたんじゃなかったっけ?
データストームって大きい物体とGUND技術を使ってパーメットリンクしたとき発生する事象じゃなかったけ?
スレッタと4号くんの虹色パワーで魂とか生まれてしまった感じ?
今までの設定全てが投げ捨てられたのを実感してものすごく悲しかったです。
パーメットやパーメット反応が青色になる考察は色々されていますが、最終回までの描写を通してすべて説明できる考察はあるのでしょうか…
ガンダムはオカルトで解決するとは言われていたがこれもその1つなのか…
あとスレッタを何故作ったのか・どこで作ったのかとかも説明なく終わってしまった。
カヴンの子って結局なんやねん!
エリィの拡張意識っていわれてもなんでガンビットの中にいるの?ゆりかごの星にはいなかったよね?とか疑問が沢山出てきてしまう。
あれは何だったのかが多すぎ問題
筆者が知りたかった謎は全て未解決のまま終わり脱力感と後悔で3日くらいは呆然としてました。久しぶりにのめり込んだコンテンツだったんだけどなあ。
ただ4月から熱中し始めた筆者と違ってPROLOGUE公開からずっと追いかけてきた人たちは約9ヶ月待っていた訳ですから。心中お察しします...
ガンダムの謎というか呪いが解かれなかった点が筆者最大の不満ではありますが、その他の人間関係や格差問題も描写が足りず「あれは何だったのか」が積もりに積もった作品だったと思います。消化不良感半端ない。
あと筆者はスレッタ単推し勢でもあるので、最終回がつらくてしょうがないです。
せめてリハビリ頑張って学園で出会った皆がお見舞いにきてくれて、ハッピーバースデーを歌って終わってくれたら(何も解決してないけど)ハッピーエンドと評価できたと思います。
ただ描写されたのか、何故か地球にいて廃人同然のプロスペラと身体が動くようになったばかりでミオリネを待つ、昔の夫の帰りを待つ田舎の嫁状態。
祝福のMVで見た地面を蹴り上げて空を舞うスレッタが見たかったよ…結局「家族」から自立できてないし…
本編は2人の少女の箱庭エンドと筆者は解釈しています。
その箱庭がキレイと感じるか、閉塞感を感じるかは見る人の解釈に委ねられているのかと。
「結婚」に関しては今の時代それに拘ること自体最初から共感できなかったので、結婚した、してないより最後一緒にいた描写があることが重要だったんじゃないでしょうか。
とりあえず今はまだスレッタを思うと心が痛いので祝福が聞けなくなりました。ごめんなさいYOASOBIさん、代わりにアイドル聞いてます。